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あがりの症状

4つの原因

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あがり症はちょっとした失敗から誘発されて、以後長く続くのですが、では、あがりは一体何が原因で起るのでしょうか。あがり症の原因を分析してみました。

性格からくる原因インナーチャイルドに要因罪の意識からくるもの成長への導き

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 性格からくる原因 

あがり症は生まれつきの性格ではありません。ただ性格から来る心のあり方があがりの症状を引き起こす大きな要因になっています。
人にどう思われるか・人によく思われたい・失敗したくない こういった人と比較したり、自分を飾ろうとする過剰な意識があがり症の原因となります。
これはほとんどの人が持っている意識ですから誰でもあがりますが、失敗したときに、こうした自分を飾る心が強い人ほど惨めな思いにとらわれ、それ以降人前で話すことに苦手意識を持ち、不安をつのらせていきます。

  この苦手意識が人前で話すことから逃げるようにしていくのですが、その結果、次第にあがりへの不安がふくらみ、恐怖心へと変わっていきます。これが多くの人のあがり症の原因です。見栄をはる心の強い人ほど、恐怖心も強くなります。

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 インナーチャイルドに要因 

私たちは生きていくうえでさまざまな体験をします。そうした体験のなかで幼児期や成長期の体験はいくつになっても心の働きの大きな部分を占めます。そのなかで、自分の行為や心を無意識的にコントロールするほどの重要な体験をインナーチャイルドといいます。自分の中にいつまでも子供の自分が居つづけているのです。

  父や母やまわりの大人たちから投げかけられた言葉や行為は、子どもの心に影響を与えます。子どもが傷つき、悲しみ、つらさを味わう出来事は、心の深くに押し込んで忘れようとします。でも消えることはなく、負のエネルギーとして自分の行為や心をコントロールします。これを心の抑圧といいます。

  こうした時期に、話すことへの抑圧を経験しますと、話すことへのプレッシャーになります。「そんな話し方をしては駄目でしょ!」「なにバカみたいなことを言ってるの!」あるいは、「もっと大きな声を出しなさい!」とか言われて育った子どもは、話すことへの劣等感をもつことになりかねません。これが何かのおりにあがりという症状を引き起こします。心の底に話すことへの不安の種があり、ある時期に芽を出すのです。
これは無意識的な働きですから、自分で気づき、はっきりとした意識にのせていけば、心の抑圧は小さくなっていきます。

  私たちにとって最も大切なのは、話すことが楽しいと感じることなのです。幼い頃、自分の話をじっくり聞いてもらった人は、話す楽しさを身につけています。この体験が乏しい人や、自分の話を否定的に受け止められた人は、話すことへのプレッシャーをかかえ込みます。人生は得られなかった体験を求める働きをしています。幾つになってからでも遅くはありません、誰かに自分の話をじっくり聞いてもらう必要があります。
話す楽しさを知れば、自分が変わります。

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話し方手帳

 罪の意識(うしろめたさ)からくるもの 

あがり症の人の中には、自分を責める罪の意識(うしろめたさ)が心深くに横たわっている場合があります。人は自分の犯した間違いを心に深く刻み込むものなのです。自分の良心が間違いを許さず罪の意識として残します。その心の底に横たわっている罪を償わんとして、自分に苦しみを与えるのです。これが自己処罰です。

  その間違いは、自分では気づかないほどの些細なことである場合が多いのです。気がつかないからいつまでも苦しみが続きます。
心の罪がどういう苦しみで現われるかは、”類は類をもって現われる”という法則で現われます。話すという行為で間違いを犯したら、話すという分野で苦しみが現われます。

  私の場合なのですが、高校二年生のときに国語の本を読んでいる時声が震えました。それまでは、人前で話すことにほとんど抵抗はなく、ましてや本読みは得意だったのです。震えたとき、国語の先生に「おまえは虚勢を張っているんだよ」と言われた言葉を今でもよく憶えています。それが図星だったものですから、それ以来落ち込み、どんどんあがり症になっていきました。ずーと、その先生に言われた言葉が私をあがり症へひっぱっていったと思っていました。

  長い間、病的なほどのあがり症で苦しみましたが、ある時、ふっとその国語の先生とのある出来事を思い出したんです。国語の時間に声が震える以前、その先生が私の自宅へいらしたことがあるのです。その当時、父はある地方の新聞社の支局長をしていたのですが、その先生が、警察沙汰になる事件を起こし、父に新聞に書かないように頼みに来られました。当時の私は小生意気で、先生と父の話をタバコを吸いながら聞いていたのです。

  このことは私にとっては大した出来事ではなく、すっかり忘れていたのですが、私の良心が心の中から「お前、間違っているよ!」とささやいていたのですね。国語の先生に対する私の間違いが、国語の本読みで失敗をするという自己処罰をしたのです。その時、「私が間違っていた!」と気づけばそれ以降、あがり症で苦しむことはなかったでしょうが、私は気づくことなく、長い苦しみへと流されていきました。

  人間にとって大切なのは、気づきです。間違いは誰にでもあります。それは心の汚点となり、外の環境に苦しみとなって現われてきます。でも、人は気づきによって許され救われます。生きる世界は見事に出来ています。私は気づきによって救われたのです。

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 成長への導き 

人生に現われる困難や障害のなかには、自分を成長へと導く働きをするものもあります。どんなあがり症でもその克服に向っていくということは、それだけでその人に進歩・向上をもたらします。でも、多くの人は、チャレンジよりも避ける方を選択します。しかし、ときとして避けられない大きな役割、仕事が与えられる人があります。

  ある女性の方なのですが、子どもさんが小学一年生のとき、クジで学年代表というPTAの役をすることになったのです。あがり症のその方は、小さな声でおどおどと話す自分の発言に「聞こえません」と他のお母さんに言われパニックに陥ったほどでした。話し方教室へ入られ、その方の挑戦が始まりました。やがて九月の学年競技会でPTAのお母さん達、先生、生徒二百名ほどの前で挨拶をしなければなりません。前の日はウトウトとするとすぐ眼がさめる、当日の朝はごはんも喉を通らないというほど大変な思いだったのですが、無事立派にやりとげることが出来ました。

  そのことを境にその方の生き方が大きく変わっていきました。さまざまな役や仕事を避けることなく、次々とこなしていったのです。現在は、少年野球チームの父母会会長の役を務め、先日も二つの少年野球チームの合同総会で、関わりのある学校の校長先生やコーチ、父母総勢百数十名のなかで司会を務められました。

  このように困難や障害は、進歩・向上を促す働きをもっています。見えざる力がその人の隠れた才能や素質を引き出すため、あるいはその人の成長を促すために、あがりという症状を必然の流れとして与えているように思われる場合があります。

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